“政府が経済成長を目指すと国は滅びる”は本当?(1)(内藤 正明:MailNews 2014年5月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2014年5月号に掲載したものです。

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今回の内容は…

先回は途中で尻切れトンボになりましたが、あれは一旦ご破産にしてもらって、その後に少しお勉強したことの復習を兼ねて纏めてみましたので、それをここで要約してみたいと思います。

今回の勉強のテキストは、「経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望」(アンドリュー・J・サター著:講談社現代新書)です1)。なぜこの本なのかは確たる理由がありませんが、経済を専攻した昔の同級生から、面白いので読んでみたらともらったものです。我が同級生ですからかなりの高齢ですが、にも拘わらずこんな勉強をしている友達がいるのは凄いでしょう?

ところで、その本のキャッチコピーは“政府が経済成長を目指すと国は滅びる!”というものですから、いまの日本人なら誰もが聞き捨てならない…と思う言葉ではないでしょうか。以下にこの本の中身におよそ準拠して、解説してみます。

 

経済成長に関する認識

「はじめに」の部分には、この本全体を通じて著者(サター氏)が理解する日本社会の特性と、この社会において唱えられる経済成長の意味するところが集約されている。それは、“この日本社会が人々の信頼と絆の上に成り立ってきたことは、東日本大震災後ではなく、それよりもずっと昔からの長い歴史がある。このようにして作り上げられてきたすぐれた絆社会の価値規範を持つ日本社会において、経済成長を第一の目標とする政策は真に日本人にとって幸せをもたらすことになるのか”という要旨である。

そもそも経済は人々の幸福を支える大事な要素であるが、それは倫理、政治、法律や文化の上に築かれるものである。もちろんアベノミクスもそれらを蔑ろにするとは言っていないが、経済成長というものが必然的にそれらを切り捨て、さらには社会格差を拡大するもであることを主張している。そして以下の本文ではその主張の根拠を、様々なデータに基づいて示している。

 

成長を測る指標、GDPの意味

最初の問いかけは、経済成長を論じる最も基本となる指標であるGDPとは一体何ものかということである。毎日繰り返し耳にし、その定義も一応辞書では見たことがあるということで知った気になっていても、それが持っている様々な問題点を私自身は十分には理解していなかったことに改めて気が付いた。

市場を通さない物やサービスの提供はGDPから除外され、育児や食事なども外注しないと加算されないことや、公害発生に金を掛けて対策すればGDPが上がるなどは知っていた。だから、これから中国はその面でもGDPが増加するかもしれないと話していたものである。だが、日本についても東日本大震災でここ当分GDPが増大するだろうと世界は予測しているが、これを豊かさの指標というのは違うだろう。

恥ずかしながら「株式、債券などを含む金融市場での取引」が含まれないことや、「中古品の取引」もGDP計算には含まれないということは、定義からすると当然であるが、改めて認識したが、金融市場での取引高がGDP値よりはるかに大きいことを考えるとこれもGDPの大きな欠陥ではないかと想像がつく。さらに、GDP計算の根拠となる統計数値の根拠の大半は、“実は政府の担当者による推測である”など、様々な問題点を指摘し、結局このような多くの欠陥を持つ指標によって評価される経済成長は、国民の豊かさ・幸せにどれほど相関するのだろうかというのが最初の指摘である。さらにGDPの問題点は手法の側面を超えて、以下に理念的、倫理的な側面にまで及んできて、これを最大の指標として目指す経済成長とは社会のありようにどのような位置づけがされるべきかを根底から問うている。

 

経済成長は社会をどう変えるか

GDPという指標の持つ問題点が多々あることを措いても、そもそも日本政府が言ってきたところの経済成長というものが具体的に社会に何をもたらすかが次の課題である。

経済成長の必要性を主張する場合にまず言われるのが、福祉の向上であり、「年金システムを維持し、不平等が解消することに資する」と言われる。また、環境問題の解決であって、「公害の克服にはまず経済の成長が必要だ」という主張は環境庁時代にはずっと聞かされた。だから、「経済に不利益を与える環境・公害規制はすべきでない」と経済界から一貫して反対されてきたことは未だに記憶に残っている。

著者(サター氏)は、「東日本の震災復興には経済成長が不可欠である」という日経の社説を、何か全く無関係のことを推進するためのまやかしであろうと言っている。また、年金や国の財政にとって税収増加をはかるために経済成長が必要ということにも、アメリカの前例を上げて、根拠がないとしている。具体的には、レーガン政権の経済運営で、その時には、消費と投資を促そうとして富裕層減税を強力に推し進めたが、その結果80年代にはGDPは年率3.48%を達成したにも拘わらずインフレの影響もあって税収は減少し続けたとのことである。

GDPの数字が示す意味についても、フランスのそれは日本の約半分、スウェーデンは10%に満たない。一人当たりの値では、カタール、ルクセンブルグ、シンガポール、ブルネイ、などのはるか下の24位であるから、それが国際的地位や国の豊かさとどのようにどう関係するのかと問うている。また、これが貧富の格差を拡大したことはよく聞かされて、日本はそんなことはないと思っていたら、1998年からの10年間でGDPは13%上昇しているが、中間値収入は12%低下していて、GDPの上昇が少なくとも貧しい層にはマイナスとなっている。

 

さらなる議論の展開

先の数回の巻頭言では、ここから一気に「社会的正義」とは何か、という難しい話に行ってしまいました。そこで、今回からはもう少し地道な勉強に戻って、「なぜ経済成長神話が生まれたのか、成長なき繁栄はあるのか、減成長による繁栄はどうすればいいのか」などを、テキスト本の順に沿って辿ってみようと思います。なお、今回の勉強はこのあたりで疲れましたので、あとは次回に回します。

 

参考文献
  1. アンドリュー・J・サター(著)中村 起子(翻訳):経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望,講談社現代新書,2012.

 

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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