「アベノミクス」は「人が生きる目的」に適っているか?(内藤 正明:MailNews 2013年10月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2013年10月号に掲載したものです。

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アベノミクスはいまの日本の社会にとって本当に“いい”のか、という疑問から発して、それを追求していくと、結局「人は何故生きるか」の定義がないと答えられないというところまで、(かなり強引に)引っ張ってきた。その論旨を簡単に整理すると、アベノミクスが目指すところは、“日本の産業競争力を高めて世界から金を稼いで豊かになること”と理解した。本人がどう言われるかは直接聞いたことはないので分からないが、いろいろの場での主張をみているとそうだろうと思われる。「では、その主張が正しいのか」を検証するには、最終的には「人は何故生きるのか」にまで至る論理が必要になると思われるので、それを再度要約してみる。

 

「アベノミクス」の定義:

“産業を活性化して世界市場に打って出て金を稼ぐ”

 

1)経済論理として正しいか?

アベノミクスで本当に産業は活性化し、GDP指標は上昇するのかという、経済政策としての妥当性は、経済の専門家の間でも様々な見解があり、確定的なことは言えないようである。まあ、時間が証明するのを待つしかないだろうが、それほど待つ必要はないだろう。

 

2)社会的正義に適っているか?

産業の活性化に力を入れることは、能力のある者が富を獲得し、ない者が貧しくなるということとほぼ同義である。これこそが「機会の平等」ということで、“正義”なのか? それとも強者も弱者もなるべく等しく幸せになる、「結果の平等」を実現することが社会正義なのか? この段階ではどちらとも言えない。

 

3)生き延びるには弱肉強食か?

自然界は適者が生存し、不適者が淘汰されることが必ずしも自然の摂理ではないことが、最近のシミュレーションでも分ってきた。社会性動物ではそれがもっと顕著であろう。他人を出し抜き、蹴落とす人が社会でより生き延びるだろうか。決してそうではなくて、周りから爪弾きにされて、きっと生き難いだろう。その証拠に、誰かを「いい人」という場合、それは「自分のことを措いて、どれだけ他者のことに配慮できる人か」を指していることに気付くのではないか。そして、そのような人を誰もが、困っていれば助けたいと思う。

 

4)生き延びるのに弱者の役割は?

弱肉強食よりも他者への思いやりが大事なのは、モラルの問題ではなく、その方が生き延びていくためには有利だからである。そう考えた方が、社会正義という難しい問題ではなく、論理(科学)の範囲で決着が着く。そうは言っても、障害のあるひとの存在は、人が生き延びていくために有利とは思い難いだろう。しかし、自然界で多様な形質が生まれるのは、生存条件が変わったときにどの形質が生き延びるかはわからないので、様々なものを用意しているためである。

 

5)生き延びることが大事なのか?

この問にはどう答えるのか? それは単純なことで、「生命(いのち)の目的が生き続けること」でなければ、そもそも生きる意味そのものを問うことができないからである。

 

ということで、小難しい理屈をこねくり回したようだが、要するにアベノミクスは経済手法として産業活性化を実現できるかどうかは、私には答えられないが、それ以前にそもそも目指す産業活性化そのものが、弱者切り捨てにつながる傾向にある以上は、自然界が設定した姿にもとるが故に、人にとって、社会にとって正しいと言えないのではないか、と言おうとしたのがここでの論旨である。余り説得力はなかったかもしれないと感じているが。

 

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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