原発事故は日本人の価値観にどう影響するか(内藤 正明:MailNews 2012年6月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2012年6月号の記事に、一部加筆修正を加えたものです。

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原発論争の実情

いま原発問題で賛成派と反対派が分かれています。それぞれの派が,その理由や根拠となるデータを出して論争していますが,なかなか決着が付きません。これまでなら,適当なところで政府とか企業側が自分の主張に従って決着を着け,市民派は諦めてそれを受け入れて,次第に落ち着くというパターンでした。今回は,さすがにそう簡単にはいかなくて難航しています。ではなぜ今回は,このように市民派が頑張れるのでしょうか?

一つは,もちろん原発事故の深刻さにあるでしょう。一旦起こってしまうと,その影響がどこまで深刻になるか予想がつかない放射能の被害を経験して,多くの人が原発はもう終わりにしたいと主張し始めました。一方では,“怪我をするからといって、包丁を使わないのか!”というような強引な発言も聞かれます。このような主張も含めて,以下に考えてみましょう。

 

論争の根底にあるもの

どんな役立つ技術にも必ず副作用があることは繰り返し言ってきました。だから原発は悪いものか良いものかと論じていては,水掛け論になります。水掛け論に持ち込んで有利なのは力を持つ側です。今回は,ようやく力が拮抗し,どちらがより危険かという論争にまで持ち込めましたが,量で測ってどちらが,という科学論争をしていても,これまた決着はつかないでしょう。それより問題は,その利益と被害が誰に行くのかということです。益だけを受ける人には,文句なしに原発は結構なものでしょう。たとえば、原発推進派を代表するK氏(元東電副社長,元衆議院議員)が,事故直後に新聞のコラムに,「原発なしで日本の産業は,株主利益はどうなる,金融市場の混乱をどうする」と書いていました。

この言葉でも明らかなように,原発の利益は,第一に電力会社とその株主に,次いで大量に電気を使う産業界が享受します。国民も安い電気の恩恵を受けてきましたが,これには将来のツケも加えた詳しい計算が必要です…。それに対して,明らかに最大の被害は被災地の人々にいきましたが,さらにいろいろな後始末を税金で負担する国民も被害者でしょう。

 

そもそも国のあり方とは

いよいよ,「国という組織は何か,何を目的に運営されるべきなのか」,ということにまで遡る議論が必要になります。ある組織が目的を持ってそれに向かって進んでいく場合,それを「機能体」と定義しています(市川惇信 東京工業大学名誉教授)。戦前の大日本帝国は「軍事大国」になるという目的を持って,国民一丸となって邁進したので,まさに国家機能体です。この場合,国民は目的達成の手段でした。

現在でも「強勢大国」といった目標を挙げて邁進し,国民はその道具になっている国がありますが,日本はそこからは卒業したのでしょうか。戦後の日本は,軍事大国に代わって,「産業立国」として産業の発展を目指し,終戦から今日まで70年間,国民は産業戦士として企業に尽くすことを目的として頑張ってきました。そのためには多少の犠牲も仕方がないという,「滅私奉公」という精神構造は戦前と変わってはいなかったのです。したがっていろいろな場面で,国や産業界の言うことには無理があっても,従うべきだという気持ちがあったのでしょう。

なお,「産業国家・日本」では,国の目標としてGNPという経済の指標が唯一のものとして使われてきました。その場合には,GNPの拡大に貢献しないものは,価値がないことになります。たとえば,高齢者や障害者,落ちこぼれなどは,貢献どころかお荷物として切り捨て対象です。さらに外貨の稼げない一次産業や地方農村などもその仲間でしょう。教育についても,大阪府の教育改革では「エリートを育てる。落ちこぼれもやむなし」という方針ですから,沢山の切り捨て対象が生まれることになりそうです。

市民社会では,これまでの社会のあらゆる仕組みが,市民を主人公として変わる必要があります。たとえば,思いつくままに挙げると,以下のようです。

  • 市民科学・市民大学〈 市民研究所,農業塾,大工塾,市民相互の教え合い塾 〉
  • 市民技術〈 市民発電所,市民工房 〉
    -株主利益のための産業技術・産業科学から,市民の幸せを目指す科学・技術とその教育へ-
  • 市民ファンド,市民企業〈 ワーカーズコープ,ソーシャルファーム,プロシューマ 〉
    -大規模商業資本から市民のマイクロ金融、市民が経営者となった起業-

 

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図1:自然のめぐみを活かした小さな生業
ハイムーン工房より)

 

いま何が変わろうとしているのか

今回の災害が契機となって,「原子力村」に象徴されるこの国の統治機構の実態が明らかになり,これまで滅私奉公がどんなに虚しいものだったのかに気付いたことは,とても大きな意義があります。それは戦中に「大本営」なるものがいかに情報操作をして,国民を破滅に導いていったかが敗戦で明らかになって,みなの気持ちが大変化したように…。そして同時に,戦後の「産業社会」がいま世界中で行き詰まりに直面し,いよいよ何か別の社会に大転換する機運がでてきたということでしょう。その第一は,自分を捨てて誰かに奉仕することから,“自分と孫・子”の幸せのために行動する社会への転換です。

 

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図2:縦のつながりと横のつながり

 

ここで,「孫・子」というのは深い意味があります。もし,自分のためだけ,というと,極端なエゴ社会になる心配があるでしょう。ところが,“いのち”というものの究極の目的は「世代を繋ぐ」ことです。そして,将来世代の生存は,他のすべての生き物いのちと支えあい,繋がりあって始めてできることですから,自分と孫・子の生存を考えると,結局はすべての命を尊重することがどうしても必要になります。なお,現在ある“いのち”の究極の目的が「世代を繋ぐ」ことであることは,「もしそうでなければ,現在のいのちは存在しないはず」という逆説から証明される,というのが遺伝子の論理です。

 

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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