“政府が経済成長を目指すと国は滅びる”は本当?(2)(内藤 正明:MailNews 2014年7月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2014年7月号に掲載したものです。

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前回に引き続き、アンドリュー・J・サター著「経済成長神話の終わり—減成長と日本の希望」1)の中身をもとに、少しお勉強したことの復習を兼ねて纏めてみましたので、それをここで要約してみたいと思います。

 

なぜ経済成長神話が生まれたか

この点について、著者は戦前から戦後の冷戦体制、その後の世界の経済競争時代に亘る歴史の中に、「経済成長神話」が生まれた経緯を解き明かしている。このあたりはいま深入りしている暇は無いので、一気に結論として知りたい「成長なき繁栄はあるか、これはどう実現すればいいのか」というテーマにいこう。

ただし、その前にひとつだけ、経済成長というものがいかにあり得ないものであるかを示す思考実験が提起されている。それは、もし世界のGDP成長率がこの20年間の平均成長率3.5%で200年間続いたら、世界のGDPは現在の1000倍になっているのは簡単な算術で明らかということである。そうなれば問題は、我々が危惧している地球環境や地球資源は(フットプリントでも、その他のどんな指標でも)、持続可能ではありえない。「そんなには続くとは言っていない」というなら、どこまで続くといっているのか? そして、その後は成長しなくていいのか?もしそうなら、成長主義の主張に矛盾していないのか、という疑問には応えてもらえるだろうか。

 

成長なき繁栄はあるか

簡単に要約してみると、以下のような論旨になるだろう。

『収益最大化』が根底にある— 現在提案されていて特に産業界に歓迎されている考え方は、「グリーンビジネス」に代表される環境にやさしいビジネスや技術開発である。日本の多くのエコ技術がこの類である。水以外に環境に何も出さない水素自動車については、水素は一次エネルギーではないのにどこから持ってくるのかという疑問には答えていない。

“これまでよりは効率的である”ビジネスや技術が、資源や環境負荷を必ずしも減らさないことが多いのは、多くの事例に見られることである。たとえば、航空機やクルマの燃料効率を上げても、会社の目的は旅客キロやクルマの利用を伸ばしていくことであり、結果的にはエネルギー消費は増大する。なお、経済学では、このような状態を「相対的デカップリング」と名付け、経済と環境が絶対量として向上することを「絶対的デカップリング」と呼ぶらしいが、ほとんどの場合そうはなっていない。

経済学というのは、単純な内容をもっともらしい言葉で表現するのが得意な分野だという気がする。

 

繁栄とは「社会とは、幸せとは」の定義による

さて最終的に、成長なき繁栄とはどう実現するのかという結論であるが、だれもが儲かって喜ぶような“繁栄”は、資源と環境の限界を認めるならあり得ない。結局は、その限られたパイをどのように配分して、「社会の幸せ」を実現するかという途しかない。著者のサターはそれを、たとえば「社会事業」「共同組合」「市民事業」という3つのアプローチとして提起している。これらはいずれも「企業社会」からの離脱を目指す仕組みである。

企業社会とは“人・モノ・金”すべてを企業利益に資するために使い、そこから得られた利益は企業(具体的には株主)に帰属するような社会であるが、それに対して、市民のために資源を用い、その益を市民に還元することを目指そうというものである。これは、ある意味で弱者を大事にする社会への転換であるから。一見うるわしい目標のように聞こえる。

しかし、これにはいくつかの反論がされてきた。

【その一】自然界は弱肉強食で成り立っているので、人間社会もそうであって当然。

【その二】効率向上を目指して市場競争しなければ、かつてのソビエト連邦のように技術も経済も発展せずに、資本主義国との経済競争に負ける。

【その三】機会の平等こそが真の平等で、「結果平等」は却って悪平等。

 

これらに対しては、すでに近年異議が出されてきた。その詳細は別の機会に譲るとして、要点だけを一言で紹介すると、

【その一】「適者生存」の原理は必ずしも弱肉強食に結びつくものではなく、自然界にはそうでない多くの事例がある。

【その二】「競争が進歩の動因」であることは間違いないとして、市民事業や社会事業における進歩・発展とはどういうことで、それを進める動因は競争なのか。そもそも経済的な意味での進歩・発展が絶対条件とはされない社会事業などにおける競争とは何なのか。今も世界で高く評価される江戸の職人技は、儲けるための競争で発展したとは思えないが…。

【その三】社会的平等については、長い議論の歴史がある。社会的正義(“信”)は一義的に決まるものではないので、一言で、どちらの平等が正しいとは言えないだろう。ただ、「弱者も等しく…」というのは多くの人の感性(“美”意識)に響くので、おそらくそれには何か(人間本能に関わる?)理由があるのだと思われるが、これも今後の興味深い検討課題ではないか。

 

参考文献
  1. アンドリュー・J・サター(著)中村 起子(翻訳):経済成長神話の終わり 減成長と日本の希望,講談社現代新書,2012.

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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