真っ当な選挙はどうあるべきなのか(内藤 正明:MailNews 2019年4月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2019年4月号に掲載したものです 。

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いまこの選挙の時期に、我が国の選挙がどんな課題を持っているか、本当はどんな問題があるのかを整理してみたい。元よりこの種の課題には、全く素人であるが岡目八目とご容赦頂いてあえて異論を書いてみる。

そのためにまず、これまでの選挙の経緯を要約すると:

「名前の連呼」の時代

昭和の時代は、候補者の名前を連呼するスタイルが主流であった。名前を印象付けるだけで当選するというのは、中身は問わないということであり、それで選ばれるなら、お菓子やビールのテレビ広告と同類とも思われる。さすがに、それには批判の声が高まり、いまでは少なくなっている。それでも、選挙戦終盤になると悲壮な声で、「みなさんお助けが必要です」という連呼が聞かれるところを見ると、それなりの効果があるのだろう。

「シングル・イシュー絶叫」の時代

平成に入っては、連呼から政治課題を訴えるようになったが、そこでは演説で、「郵政民営化」とか「待機児童ゼロ」とか「カジノ誘致」といった単一のスローガンを唱える方式が主流になってきた。インパクトのあるスローガンを一言でアピールする。これは名前の連呼よりは多少は進歩であるが、肝心のそれを実行するのに必要な「金、人、モノ」をどうするのか、それがもたらす副作用をどう考えるか、という大事な話にはほとんど触れられない。街頭演説にそんな時間がないのなら、スローガンの回数を減らしてでも、中身を簡潔に説明するか、刷り物にして配るしかないだろう。でも、チラシを配っても受け取る人は少なくて、多くはそのまま捨ててしまうといわれるだろうか。それは、残念ながら有権者の意識がまだ低いのと、チラシの書き方の未熟さの問題もあるだろう。

限られたパイの中では、そのシングル・イシューを選択すると、何かを削減することになるし、またどこかが潤えば、どこかにしわ寄せがいく。多くの場合、庶民は恩恵どころか損失を被ることが多い。原発がその分かり易い事例である。政治とは税金の配分を決めることであるから、そのような成り行きは当然として、そのマイナス面を頬かむりして言及しない。そこで誰か第三者(専門家など)ができるだけ客観的に事実関係をデータで示さないといけない。そのためにはやはり討論の場を作って、その中で専門家などが関連情報を提示しつつ、候補者同士が議論する仕組みが必要だろう。アメリカの選挙では、各種の討論会が開かれて、喧々諤々やっているようだし、学生も大学で模擬投票などをして、盛り上がっているが、日本では皆白けているのはなぜだろう。

「熟議選挙?」の時代

そのような討論をすると、現在の保守(与党)と革新(野党)の対立点の根っこにまで行きつく。そこまでいくと、この国の将来社会の姿をどうするのかというまさにビジョンが必要となる。これまで幾人かの識者が、「政治家は将来の国のビジョンを示すべき」と言ってきたが、それに応えられることはなかった。それは、「国のビジョン」というのが、どんなものなのかが理解されていないのではないだろうか。または、これを進めるとイデオロギー論争になっていくので、戦後の混乱時期の面倒に懲りて、この国では忌避されてきたのかもしれないが。政策の訴えがこの次元になって初めて、国の未来を見据えた政治の選択が可能になる。

ただし国でも地方でも、その将来ビジョンを描くことはとても難しいのは言うまでもない。まず、①「どのような社会を目指すか」、②「その過程で、どんな内的、外的な制約があるか」、という両者を的確に把握することが前提になる。実はこれこそ、我々が主に自治体(府・県、市町 レベル)を対象に進めてきた仕事であるから、特にそれ抜きで政治公約が語られるので、とても違和感を覚える。

「“どんな社会を目指すか”を選択する」時代はくるのか?

では、どのような将来社会を描いて、それをどう実現にもっていくかを訴えることが大事であると言いたいが、いまの選挙でそのようなことがされる可能性があるのか。そうすべきと強く主張する理由は、特にいま社会がこれまでとは大きく変わらなければならないという認識を前提としている。しかし、その認識を広めることが難しいのは十分経験してきた。ここにきて、我が国でもようやく言われ始めたのが、温暖化防止は諦めた「適応社会」への転換である。これこそが当NPOの主要課題であるから、これまでに散々論じてきた。しかし残念ながら、いまだにその社会像は、国が主導してきた「産業振興」中心主義と、我々の唱える「自然共生」主義の考えという、大きく異なる二つに分かれる。これは結局、国民は産業の戦士となるか、自分の幸せを(個人またはコミュニティで)実現しようとするかという違いになる。

今回の「気候変動適応法」で国がイメージする社会は、今年の環境省提案が象徴するように、「省エネ住宅、省エネ家電、エコカーへの買い替え」が主要事業で、それが組み込まれていることが、助成の加点項目となっている。これを見ると、なぜ今回に限り環境関連の法制度がこれほど迅速に制定されたのかが読み取れる。そこには産業(それもすでに時代遅れの産業を)テコ入れして活性化する機会として、適応社会を利用しようとする意図が透けて見える。それを明確に意図した確信犯ではないとしても、それによって本来目指すべき(と我々が考えている)方向とずれていくことが困るところである。

因みに、我々が提案してきた方向を、改めて図に再々録しておく。もう何十年も前から言ってきて、もはや主張することに疲れたいま頃になって、実は各方面から関心が示されるようになってきた。また、「アナタはいつも20年早いんだよ」という声も一緒に…。

ということで、このような国の社会像が、選挙で議論されるのはさらに10年かかるかもしれない。だが、それではもう手遅れになっているだろう。さらに、最近は「近隣諸国からの侵略」、「自然災害」の危機の方がもっと深刻だとする意見が高まってきたので、これらの危機回避政策と、「適応社会」がどのように馴染むか、または相反するかという議論が絡み合って、政策論争が一層複雑になってきた。

国政を担う国会議員なら、ただ、景気、年金、介護、保育園、カジノ、といった個別課題ではなく、人類の持続と国の存続を可能にするためのこの国の方向をどう見据えるかといった次元での理念を明確に示してほしい。それがあって始めて、そのような国の姿を受け入れるかどうかが判断できる。それ以下の個別政策は、その下の次元の課題である。

この大問題については、改めて機会を見つけて論じてみたい。

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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