弱者排除は正しいのか(内藤 正明:MailNews 2016年12月号)

※ この記事は、「用水と廃水」第58巻10月号に掲載されたインタビュー記事「弱者排除は正しいのか —誰もが役割のある社会を目指して—」を再整理し、KIESS MailNews 2016年12月号に掲載したものです。

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はじめに

最近起こった障碍者の殺害事件が日本中に衝撃を与えたのは、それが単に大量殺人であるという以上に、命の価値をどう見るかという大きな背景につながっているからです。“誰もが等しく生きる権利を持つ”という言葉に建前として反対する人はいないとして、今回の犯罪はヒトラーの思想を信奉して、弱者切り捨てこそが社会的正義だと正面切って主張した例です。

このところ多くの識者が様々な視点から、このことについて論じています。だが、本当は“生物としてのヒトから、社会的動物としての人”にまで亘る、人間の本質を総体として考察しなければ本当のことは見えてこないと思われます。本稿はこの難題に挑戦してみたものです。もとより浅学の筆者には身の丈を超えた試みですが、これを批判材料として議論がまた起これば、それも一つの効用かと思ってお引き受けしました。

 

自然と社会の原理

多様な個体を生みだすのは遺伝子の自然界での役割です。その異なる遺伝子を持つ多様な形質の個体の中で、環境に最も適したものが生き延びてきました。「弱者切り捨て」の主張は、この自然界の「適者生存(自然淘汰)」の説を根拠としています。しかし、それは単なる切り捨てを意味しているのではなく、また適者の定義も周囲の環境との関係で変わります。その理解のために、まず、人の自然的、社会的「進化過程」を振り返ってみましょう。

進化の定義
与えられた環境の中で、「生き残るに適した遺伝形質を持つものが生き残った」という「同義反復」で定義される(リチャード・ドーキンズ1))。この原則の下に、地球環境との共進化によってヒトは百万年単位で、以下の3つの脳の働きを獲得した。

 

第一:「反射脳、動物脳」
個体として生き延び、遺伝子を残す。

 

第二:「情動脳(前期哺乳類脳)」
家族として親子、家族間の支えあいを維持する。ただし、親子でもライバルの場合があり、同種、異種でも助け合う場合がある。

 

第三:「理性脳(後期哺乳類脳)」
社会の一員として協働して資源を獲得・分配し、子孫を残す。

以上のように、ヒトはその取り巻く「自然環境、次いで社会環境」との共進化の過程で、生き残るのにより適した特性を、時間を掛けて獲得してきました。そこで、動物脳が必要なワイルドな自然では、強いものが個体として生き残ったでしょうが、集団としての生き残りが必要な段階では、集団内での協力関係を維持する情動脳が育ったのです。哺乳類が生き残ったのは、こどもを大事に育てるという仕組(抱擁ホルモン=オキシトシンの役割等)を発達させたためであり、それがヒトの社会性を形成したそうです。また、他者の行動を自分の行動のように認識する「ミラーニューロン」なるものも発見されて、他者が苦しむのを放置できないのは、長年の進化過程で獲得した遺伝子特性にもあるようです。

第三段階の「理性脳」では、社会的動物としての「利他性」が生まれてきます。利他行為はいずれ自分に返ってくる、またオキシトシンが出て自分自身を元気にします。さらに、最近興味深い研究で、“いつも攻撃するタカ派”、“いつも奉仕するハト派”、その中間の“親切には親切でお返しする派”がいたとして、最後にはタカ派だけが生き残るのではなく、少数のタカ派とハト派と多数のお返し派が残るようです。つまり、自然界では一代限りの弱肉強食の原理よりも、子孫を残すための世代を超えた適者生存の原理が生き物を支配しているといわれます。

 

人類社会の歴史から見ると…

ヒトの進化過程からは、ヒトは助け合いの遺伝子を持っているらしいことが分かります。しかし、人間の歴史は、互いに奪い合って絶滅した文明の積み重ねでした。そして、今や地球全体が資源も環境も危機的で、今回は人類全体の絶滅さえ懸念されます。その原因は、ヒトの生存を維持すべき自然生態系、そして将来世代といった、すべて“物言わぬ弱者”からの収奪の結果です。身の回りの社会的弱者を排除する論理の延長線上に、そのような人類持続の基盤を崩壊させる元があったといえましょう。

にもかかわらず、競争が経済の活力を高めて、国民の豊かさを向上させるという「新自由主義」の競争原理がいまだに世界で、またわが国でも力を得ていますが、それについては「「分かち合い」の経済学2)」で神野直彦が、「優勝劣敗の自由競争による企業社会の発展こそが社会の発展であるとする日本やアメリカでは、低負担・低福祉政策によって弱者を収奪することで経済の発展を指向している」と述べています。

社会が目指すものが軍事国家なら、戦争に役立たない者は淘汰され、産業社会では産業戦士として役立たない者は切り捨ての対象になります。経済発展を国の目標とする社会の風潮が、それに貢献しない弱者を切り捨てる雰囲気を醸成し、今回の事件の背景になっているのではないでしょうか。

 

心の面、宗教の面から見ると…

「お返し論」については、宗教でも「神の報いがある」と説きます。しかし現実には必ずしもそうはいかないので、旧約聖書以来、なぜ神は善行に報いてくれないのかという問いかけがなされてきました。それには、“死後の世界で報われる”というのが答えの一つです。しかし、死後を認めていない宗教や個人にとっては、それでは納得しにくいでしょう。
さらに、お返し理論で困るのは、他者の目に触れない場合、「コモンズの悲劇」と呼ばれる共有物の独り占めが起ります。いまの地球環境問題はそれが行きつくところまで行ったものです。そもそも、「お返し期待論」は純粋な利他行為とは呼べない、という高次の倫理論はここではパスします。
歴史の上で様々な宗教は争いの種になり、今も宗教の名の下に殺戮を重ねています。市川惇信は「異なる正義の体系のすべてに共通する普遍のものを作ることができないのは証明済みである。それにも拘わらず、各自が普遍と信じる正義の下の抗争が社会を崩壊させる。それよりも、たえず両立化を図って合意の道を探る日本の多神教には顕著な利点がある。」と述べています3)。しかし、キリストも釈迦もモハメッドも、人間の利己心がいずれは人類全体の破滅をもたらす可能性を予見していて、「命は等しく神の子である」と説き、他者を排除する論理を批判したのではないかと、愚考するのですが…。

 

日本の役割

エジプトのシシ大統領は日本人について、「勤勉で規律を守る歩くコーランだ」と述べ、3.11の大震災で被災市民の助け合う姿にイスラムの聖職者が、「ムスリムでもない彼らがコーランの教えを体現している。それなのになぜ我々の国でそれができないのか」と言ったそうです。

幕末から明治にかけて日本を訪れた西洋人の多くが、“貧しくてもこれほど幸せそうに暮らしている人々は見たことがない”と評しています。また当時のフランス大使ポール・クローデルは、帰国後の講演で、「世界中の人間がすべて滅びても、この民族だけは滅びてほしくない」、「かれらは貧しい、しかし高貴である」と述べたそうです。これらのことから、日本こそ人類持続のための「分かち合い社会」で、“貧しくても高貴”な社会のモデルを世界に創って見せられるのではないでしょうか。経済大国でも、軍事大国でもなく、“誰もが等しく幸せである”ことを国家目標とすれば、弱者の阻害は本質的にありえないことです。

このような社会を実現して見せることが、世界に対する日本の貢献と考えるなら、新生日本にとっての究極の夢になりうるのではないでしょうか。

 

  1. リチャード・ドーキンス(著),日高敏隆 ほか (翻訳),利己的な遺伝子,紀伊國屋書店,1991.2.
  2. 神野直彦:「分かち合い」の経済学,岩波新書,2010.
  3. 市川惇信,科学の眼で人の社会を観る 進化論的世界観,東京図書出版,2014.11.

 

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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