自然共生を改めて考える(内藤 正明:MailNews 2015年11月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2015年11月号に掲載したものです。

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このNPOは「循環共生社会システム研究所(KIESS)」という長い名前ですが、このメールニュースの中で共生についてはあまり論じてきませんでした。最近の生物多様性という言葉の広がりに便乗して、『人と人、自然と人』の共生という視点で改めて論じてみたいと思います。

そのための第一弾として、「自然と共に生きる街づくり」というテーマで、最も自然となじみ難い人工空間である都市を対象に、自然との共生を考えるセミナーを開催したので、今回はそれを特集として取りまとめて報告します。

 

不安定な現代社会

近代を振り返ってみると、科学技術が急速に発展し、人はどこまでも豊かで幸せになっていけると希望を持った時期がありました。しかし、残念ながら結果はそうはいきませんでした。科学技術は社会に物質的な豊かさをもたらすと同時に、様々な副作用をもたらしました。その副作用の最たるものは戦争が大規模化したことです。ようやく大戦争が終わったと思ったら、今度は世界規模での経済競争が始まり、それが社会不安を引き起こし、今に至るまで各地で紛争が激しくなるばかりです。この社会的な不安と、それが引き金になった紛争が今日の人類全体にとって大きな不幸をもたらしたといわざるを得ません。

 

国連70年の認識

そのことが、いよいよ世界の認識になったと思われるのが、今回の「国連70年」での“SDGs(Sustainable Development Goals)―誰も置き去りにしない―”と表現される問題提起です。このメッセージの要点は次の二つと理解されます。

ひとつは「人類持続の不安」の再認識です。近年頻発する気候変動を筆頭に、災害、資源枯渇など様々な問題を、今さら…と言いたいところですがようやく世界が本気で実感し始めたということでしょう。

もうひとつ、「巨大な格差の発生」は、国内的には「社会格差」、国際的には「南北格差」として、最早放置できないほど拡大しており、それを考慮したのが「誰も置き去りにしない」という表現といえます。

それら二つの問題が深刻かつ象徴的な形で噴出したのがISの活動で、その原因は国内的、国際的な社会格差を直接的な要因とし、加えて人類の将来に対する絶望感が重なった、ということでしょう。

 

自然共生社会への転換

我々は以前から“「地球制約の下に」「地域全体の幸せを最大化する」”という問題設定で、各地で事例研究をしてきました。これこそ、今回の国連の目標と一致するというのは理解いただけるだろうと思います。そのような社会の実現のための道は、「自然共生社会」への転換であるとしてきました。なぜ自然との共生が道なのかを一言で要約すると、現在の危機の原因として、「技術」がその大きな役割を担っていると考えるからです。だからこれを回避するには、この技術を大きく改めることがカギとなります。

このあたりは何度も言ってきましたので、結論だけを要約しますと、これまでの「大規模、先端的、大量消費、大量廃棄」を特徴とする技術の方向を、「適正技術」へ転換することだということです。そして、このような理念の異なる技術体系に転換するには、それを受け入れる社会そのものの変革が不可欠だとも言ってきました。しかし、そのような「社会と技術の大転換」は、現実的に難しいだけでなく、文明・社会・人類というものの進化過程に照らしても論理的に不可能だという説があります。そのような見解については最後に纏めて紹介することにして、ここでは“頑張ればできる”と仮定して以下の話を進めましょう。

 

自然破壊の歴史

人類の歴史の中では、自然は“収奪する対象”でした。「農業は人類の原罪である1)」(コリン・タッジ著)によると、既に13000年前にホモサピエンスが北米大陸に到達してから、数百年の内に大型動物45属のうち33属を絶滅させたということです。その後も多くの文明が自然を破壊し尽して崩壊したことは、「文明の崩壊2)」(ジャレド・ダイアモンド著)に詳しく論じられています。

その後の技術の進歩は、投げ矢どころではない巨大で効率的なものになり、凄まじい自然破壊を引き起こしてきました。それがいまや地球史の中で新たな生物大絶滅の時代とさえ呼ばれる事態になりました。その手段としての技術進歩が要因だとして、その原因は全く人類の欲望から来たものであることは、図に引用した表現に見る通りです。

ようやく、少しは気を付けようというで、“保全”とか“再生”などが言われ始めたのがここ10~20年のことです。しかし、温暖化問題と同じで、本当はもう手遅れかもしれません。歴史上起こった各地の文明崩壊も、自分たちは気付いてはいたはずなのに止められなかった。これは人類の宿業?だと諦めるしかないのかもしれません。今回はその最後の機会で、これに適切に対処できなければ、もう次の文明は無いでしょう。

 

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(クリストファー・ロイド「137億年の物語」3)に著者加筆)

生物多様性の崩壊の原因

 

真の共生社会への転換

では、どうすればいいのでしょうか? もちろん、世界全体が環境危機(生物の絶滅と気候異常を2大象徴として)を本気で回避する気になって、思い切った行動を取れたらいいのですが、今回のCOP21でも相変わらず互いの利害を主張して折り合いが付かないのを見ると、目先の欲望を抑えることを人類に期待するのは無理だと思われます。そこで結論は、もう持続可能な社会への世界中の転換は諦めて、本当に危機を感じて行動できる人達だけが、自分たちの生存可能な社会を作ろうとすることです。それが「エコビレッジ」「トランジションタウン」などの運動として世界的なネットワークに繋がろうとしています。

では、それにはどのような具体的な方法があるかを、段階を追って整理すれば、

  1. そもそも大規模工業というもの自体が問題なので、“人と人が共生”する農系社会への転換が第一段階です。
  2. その農業の方法としては、当然石油漬けの現代農業ではなく、「適正技術」と呼ぶべき農法になるでしょう。
  3. そのような生産システムに支えられた社会は、「パーマカルチャー」などに見られるような、農生産だけではなく、生活の仕組み、街づくりなどすべてが自然と一体になって、「美的で、安心・安全で、人と人が多様に繋がる」持続可能な社会になるでしょう。

思い切った自然共生社会への転換を目指す中では、現代都市はそもそも存在しにくい存在です。しかし、当面それを切り捨てることはできないので、せめて思い切って自然を取り込み、「街にみどりを」ではなく「みどりの中に街を」というぐらいの姿を目指す、その第一歩だという認識で提案したものです。

 

【追記】

「人類社会の変化」は、『生物は環境と共進化して変化していき、一旦それが開始されたら、適者生存の法則にしたがってその方向は変えようがない』とされる。

人類の歴史を見ても、『他者のために自己の利益を抑えようとする』のは、決して人類の普遍的な行為ではない。ただし、人によって自他の利益の配分に関する感性は様々で、利他的度合があるレベルを超える人の集団が、自発的にそのような「利他社会」を作ることはありえる。それが、今日の新しい村づくりということだろう。

 

参考資料
  1. コリン・タッジ(著),竹内 久美子(訳):農業は人類の原罪である(進化論の現在),新潮社,2002.
  2. ジャレド・ダイアモンド(著),楡井 浩一(訳):文明崩壊 ̶ 滅亡と存続の命運を分けるもの,草思社,2005.
  3. クリストファー・ロイド(著) 野中香方子(翻訳),137 億年の物語 ̶ 宇宙が始まってから今日までの全歴史,文藝春秋,2012.

 

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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